2009年5月27日水曜日

Hans J.Wegnerとデンマーク家具





私が初めてHans J.Wegnerと会ったのは、今から30数年前のコペンハーゲン、スカンジナビアファニチャーフェアの会場 Bella Centerでした。(現在のBella Centerは別のところに移転したものです)。



デンマーク人特有の暖かいまなざしで、ゆっくり頭を下げながら、大きな手で強く握手したのを覚えています。当時の私はデンマーク家具のイロハも知らず、実際のところ、この人が世界を代表する家具デザイナーとは知らずにいました。そして、その後ウェグナーの家具を製作している、Johannes Hansenの工場にいきました。この木工場を訪れたとき、ふっと私の生家(静岡の木工所)のにおいが同じであることに気づきました。このときが、生涯私の方向性を決定付けたような気がしています。


思えばもう30数年前のことです。
そのとき思い切ってザチェア(マホガニー・ケーンシート)を購入しました。写真は我が家のザチェア(JH501)です。いい色になっています。椅子の中の椅子(ザチェア)といわれる風格さえ持っています。


現在Johannes Hansenは廃業し、これらHans J.Wegnerの家具はPP Mobler社が製作しています。PP Mobler社には数年に一度は訪問していますが、Johannes Hansenのものとは少し雰囲気が違うように思います。昨今オークションでこのJH501、503が高値で取引されているようですが、Hans J.Wegner自身は生前、この傾向をあまりうれしくは思っていなかったようです。なぜなら、椅子は生活の道具の一部であり、オークションなどの対象となるものではないという確固たる考えがあったからだと聞いています。


私は自分たち家族をいろいろな場面で支えてきたこの椅子を手放すつもりはありません。我が家の歴史が刻みこまれたものだから。もし、息子又は息子の伴侶となるべき人がこの椅子を欲しいと言ってきたら・・・そのときはよく考えます。


次回はフリッツハンセン社の家具について今考えていることを書いてみます。

2009年2月21日土曜日

はじめに・・・

これからこのルームに、北欧家具に関するいろいろなコラムを書いていきます。













あくまで自然体で、今思っていること、昔の思い出を、思いつきそのときの気分次第でとりとめもなく書いていきます。同じように感じたこと、これは違うぞなんてコメントも大歓迎です。皆様と一緒にある種のこだわりをもって大切にルームをつくりあげていこうと思います。

私がはじめて北欧家具に触れたのは、今から30数年前、安い航空チケット(といっても当時はえらく高かった)はアエロフロート航空(旧ソ連)で行ったときでした。ヨーロッパまでは当時モスクワ経由が一番早かったのです。SK、JL、LHなんかは全てアンカレッジ経由で確か、羽田からコペンハーゲンまで18時間位かかったと思います。アエロフロートのイリューシン62という飛行機は、当時席の指定は無く、有事の際はソ連の兵士の輸送機になるとか、ドタキャンになるとか聞かされていたので、なんとなくJLとかSKの機体が妙に光って見えて、いつかはJLに乗って出張しようなどと思っていました。まあいろいろ考えたり、食べたり寝たりしているうちにCPHカストラップ空港に着きました。カストラップ空港に着く前、空から見たコペンハーゲンの街は小さなオレンジ色の屋根と緑の豊かなとても幸せそうな国に見えました。私にとってはじめてのヨーロッパはコペンハーゲンだったのです。

時は5月スカンジナビアンファニチャーフェア、30数年前は今と違い5月でもまだ雪が残っていて、日本ではGWなんかで春とか初夏の気候なのにさすがに北の国だなあと実感しました。スカンジナビアンファニチャーは旧ベラセンターで行われており、そこでハンスウェグナーはじめ、いろいろな人に会場で会い、今でもお付き合いしている方も多いです。会場には洗練されたパワーがありました。見るもの、会う人から多くのことを学びました。すべてが先生でした。経済学部出身の私にとって、この人たちがどんなに偉大な人なのかほとんど知りませんでした。親しげに話しかけられ、特に何の緊張もなく会話して、今から考えると若いからできた、とんでもないチャンスを得ることができたとつくづく思います。かのウェグナーさんと握手したとき、ものすごい大きな手で思い切り握りしめられたのを覚えています。暖かい手でした。ただ単純に思ったことは、なんでデンマーク人はこんなに思い切り力を入れて握手するのだろう?

次回はウェグナーさんの家具について書いてみようと思っています。